認知症ケアの標準化

先回認知症に対する介護は遅れているとお話しました。従来の認知症介護は、「心情的ケア」あるいは「対応型ケア」と言われていました。つまり、根底に「気の毒な」「かわいそう」という心情があり、ケアも経験に基づく症状に対応するものでした。つまり客観性に乏しかったのです。今後は、介護の技法として伝達され、標準化する必要あると思われます。

実際、認知症の患者さんは、ふさわしい状況と安心できる環境に置かれると、思いもかけない能力を発揮します。 最近では、認知症の患者さん自身が書かれた本も出版され、患者さんの理解に役立ちます。『私は誰になっていくの?』の著者クリスチーン・ボーデンさんは、オーストリア政府の高官として30人の部下を統率していましたが、アルツハイマー病と診断されました。本の中で「ゆっくりとスピードを落として、目を見つめて話してください。私達の思っている事を理解してケアの環境を変えてください」と述べています。認知症患者さんの内的体験の理解のために一読をお薦めします。

ピンピンコロリの実現のために

講演で一般の方々の前でお話をして感じることがあります。皆さん漠然とした不安をお持ちです。“できれば、人の介護を受けたくない。いつまでも自分の事は自分でしていたい”と思っているようです。人間はどのような時に介護が必要になるのでしょうか?それは大きく「身体介護」と「認知症介護」に分けられます。いつまでも身体が動き、認知症にならなければいつまでも、生活は自立します。結果として、いつまでも元気で自宅での生活を過ごし、最期はコロリ。いわゆるピンピンコロリです。しかし残念ながら、身体介護に比べ、認知症に対する予防・介護は極めて遅れています。そのために我々は、一般の方々・認知症介護の実務者・ケアマネージャを対象にした啓蒙活動を行っています。

お葉書を頂きました

先日、遠方から受診されていた患者さんからお葉書を頂きました。

“お世話になりました。先日、永眠いたしました。先生の「子供さんが、きっと見ていますよ」と言う言葉を胸に介護をしてきました。ありがとうございました。”

その方は、懸命に認知症のおじいさんの世話をされていました。しかし、身内の心無い言葉・態度に苦労されて介護されていました。思わず、30年前の 自分の母親の姿と重なってしまい、かけさせていただいた言葉が「子供さんが、きっと見ていますよ」と言う言葉でした。苦労して介護している両親の背中を、 姉と自分は敬意を持ってみていましたから・・・

そんな自分の言葉が、お役に立てたことはとても嬉しい事でした。

認知症の経験を役立てて

認知症になった祖父は、食べた事も忘れてしまい“何も食べさしてもらっていない”と言っていました。風呂に入ると、トイレットペーパが湯船に浮いており、毎日祖父に一番に入浴してもらい、その後、湯を入れ替えていました。その他にも、被害妄想もあったようです。

そんな中、たまに来る叔父や叔母の前ではとても調子がよく、その事が両親の介護負担を重くさせていたようです。しかし、そんな祖父も徐々に弱り、数年後には食事が取れなくなり永眠しました。その時に、認知症の家族としての経験を活かせる人生を送りたいと考えました。

その後、医学部を目指す際、医師になってから専門を選ぶ際、開業をする際、一度も迷う事がありませんでした。これも認知症であった祖父のお陰であると感謝しております。

最近では、半径100km圏内の患者さんも当院を受診していただいています。また講演や専門学校や大学の非常勤講師もさせていただいています。これらも、祖父の導きであると思うと貴重な経験をさせてもらったと感じています。

ブログを開始させていただきます

本日より、認知症専門医そして医療法人ブレイングループの理事長として、長谷川嘉哉のブログを開始させていただきます。内容は、「認知症の知識の提供」、「健康情報」、「脳の使い方」、「日常外来からの話」、「成年後見人について」等 広く情報を発信したいと思います。認知症の介護に携わる、ご家族や介護職を中心に多くの方にお役に立てれば嬉しいと思います。

現在、認知症の患者さんは約200-300万人と言われています。その御家族・身内が4人いると仮定すると、日本全体で1000万人以上の方が認知症と何らかの関係があるわけです。つまりこれからの時代認知症を避けて通る事自体難しいと思われます。

私は、30年前認知症の家族でした。認知症になった祖父。当時、父親は、43歳、母親は40歳、姉が16歳、私が12歳でした。家族それぞれが仕事・家事・学校に忙しい真っ只中でした。

徐々に進行する祖父の認知機能症状。当時は介護保険もなく、本当に大変でした。

しかしその事が、自分の人生に大きな影響を及ぼすとは思ってもいませんでした。