篠田桃紅③

篠田桃紅さんへの関心が高じて、2005年に汐留にオープンした、ヒルトン系の高級ホテル、コンラッド東京にも宿泊しました。

そのロビーへは、汐留ビルディング1階入口から直通エレベーターで28階まで上がります。

すると天井の高い、大きな空間が開けていて、その空間を圧倒するように篠田桃紅先生による巨大な壁画が納まっています。

ひとり感激して、近くで眺めたり、遠くから眺めたりしていました。

宿泊客もあまり絵に関心を向けているようにも見えませでしたが、この壁画に関心が持てる自分がとても嬉しくなりました。

ホテルの方の許可の元、しっかり作品を写真に撮らせてもらいました。

ちなみに、この壁画が制作されたのは、篠田先生が92歳の年でした。

壁画が納まった日、コンラッドの支配人が篠田先生に「これでこのホテルにハートが入りました」と申し上げたのだそうです。

92歳でこれだけの大作を創作できるとは驚きでした。

 コンラッドのロビーも、空間全体が篠田桃紅さんの壁画と調和して、総合的にひとつの作品のようになっています。

建築と作品の、とても贅沢な競演です。

ぜひ一度ごらんください。

篠田桃紅②

その後、しばらくして、画廊さんから、篠田桃紅の作品を売りたい人が居るので見て欲しいとの連絡がありました。

見てみると、2点有り、いずれも素晴らしい作品でした。

しかし、結構な値段でしたので、冗談で“半額なら購入するよ”と言ってみました。

すると、画廊さんが直ぐ、依頼主に電話、半額でも良いとの返事でした。 

 実は依頼主が、結婚の際、父親から持たされたものだそうです。

娘さんは、絵に関心が全くなく、いくらでも良いので現金になるなら良いとの事でした。

“半額なら購入するよ”といった手前、購入しましたが、いずれこの絵も関心のない私の娘達が、いくらでも良いので売ってしまうのかと考えると寂しくなりました。

しかし、考え方を変えると、絵というものは、興味のある人間が一時的にお預かりするものなのかもしれません。

という事でお預かりしているのが以下の2点です。

ちなみに2点のうち1点には、“立心”と書いてあります。

篠田桃紅さんが、1956年単身ニューヨークに渡ったころに、書かれたものだそうです。

“立心”という言葉は、辞書を引いても無いのですが、その時の心情で書かれたようです。

“心を立てる”とても良い言葉だと思います。

篠田桃紅①

私が、西村計雄さんの次に、扁桃核を刺激された画家が居ます。

篠田桃紅さんです。

篠田桃紅さんのプロフィールは以下のようです。

1913年旧満州・大連に生まれる。

幼少から家庭で書の手ほどきを受け、戦後、本格的に創作活動を再開し、既成の書の形にとらわれない墨による新たな形を描き出し、独自の抽象芸術へと移行。

1956年単身ニューヨークに渡り、創作活動に励む。

全米をはじめとしてヨーロッパ各地で個展を開催。

国際的に高い評価を受ける。

帰国後も、レリーフや壁画などの建築物に関わる大作を手掛ける一方、版画や題字、随筆など多岐に渡って活動。

『Newsweek』10/26号の特集「世界が尊敬する日本人100」に選出された。

岐阜市出身の父、関市出身の祖母の下育ち、幼少期より美濃和紙に愛着を持つなど関市および岐阜との関わりが深いことから、関市の文化整備事業の一環として市内企業の鍋屋バイテック会社より篠田桃紅の所蔵品を借り展示している。

なお、映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。

不思議と、西村計雄さんといい、国内より海外での評価が高いようです。

最初の出会いは、近所の画廊から届いた、展覧会の招待ハガキでした。

何か引かれる思いで、画廊に向かい、即決で購入したものが以下の絵です。

我が家の床の間を飾っています。

最初に、床の間に飾ったときの感動は、忘れられません、見事に、床の間に馴染んでしまったようです。

予断ですが、購入後、画廊より、後で来た方がどうしても、この絵を譲って欲しいという連絡がありました。

まさに、ロバートBチャルディーニの「影響力の武器」に書かれた、6つの基本的カテゴリーの“希少性”により、当方の満足感があがりました。

画廊の戦略とは考えたくないですが、とにかく大満足の作品です。

西村計雄

その後、縁あって、西村計雄さんの作品は5点ほど所有する事になりました。

西村先生は、渡仏の前後で明らかに作風に変化が見られます。

また渡仏後の1950年代の作品は、かなり抽象的です。

1953年開催のパリ個展の出品作品の一つ「鏡」油彩50号は、土岐内科クリニックの待合室を飾っています。

あまり一般受けしない作品ですが、渡仏して間もない意欲に溢れている作品だと感じられるものです。

 1960年代半ばになると、新しいスタイルを発表し、西村先生独自の世界が確立されたようです。

その頃の作品が、フランス政府やパリ市の買い上げになったようです。

実は、1970年代の西村計雄先生自身が選んだ自選集の巻頭を飾った作品があります。

80号の大作で“竹”という画題です。

自選集の巻頭飾るだけの素晴らしい作品です。

実は、その作品が我が家の玄関を飾っています。

入手経路は、なんとインターネットオークションです。

絵と一緒に西村計雄さんのサインや、画集も同封されていました。

なぜこれほどの作品が、オークションにと一抹の不安もあります。

西村計雄記念館に同じ画題のものがありますが、それよりもサイズは大きいものです。

 いずれは、何でも鑑定団にでも出品して鑑定をお願いしようかと考えています。

西村計雄

私が、最初に好きになった画家は西村計雄さんです。

絵画が特集された月刊誌を見て “良い絵だな!”と思って、作者をみるといつも西村計雄さんでした。

 西村計雄さんは、1909年生まれで、1951年に渡仏しパリを拠点に活躍された画家です。

その作品は、フランス近代美術館、パリ市美術館、日本では沖縄平和祈念堂などに所蔵されています。

また故郷である北海道には西村計雄記念美術館があります。

なんと、フランス芸術文化勲章を受けられています。

どちらかというと日本より海外での評価が高いようです。

 そんな月刊誌でしか見たことがないない絵に、たまたまゴルフに行った、関カントリークラブの風呂場で出会ってしまいました。

実物を見たときの感動、まさに大脳辺縁系の扁桃核が刺激されるのを感じるほどでした。

多くのゴルファーは何も気にせず、通り過ぎていきましたが、一人風呂場にかかった絵を見入っていました。

同じ人生、何気なくかかっている絵に、意識をもって過ごしたいと感じた一瞬でした。

その後、縁あって西村計雄さんの絵が我が家の寝室を飾る事になりました。