プロフィール
長谷川 嘉哉 (はせがわ よしや)
昭和41年2月14日生(みずがめ座)・B型丙午
経歴
- 平成2年
- 名古屋市立大学医学部卒業
- 平成12年
- 認知症専門外来および在宅医療の実践のため岐阜県土岐市で開業
祖父が認知症であった経験から、患者さんのご家族の立場に立った専門医療を提供している。
100km圏内からの患者さんが、年に300名程度受診される。
また在宅医療にも取り組んでおり、開業以来、30,000件以上の訪問診療、400人以上の在宅看取りを実践している。
現在、医療法人ブレイングループ理事長として、在宅生活を医療介護福祉のあらゆる分野で支えるサービス展開している。
なお、メンタルトレーニング指導の国内第一人者の西田文郎氏の「西田塾」塾生でもある。
職務に関する資格
医学博士、日本神経学会専門医、日本内科学会専門医、日本老年病学会専門医、介護支援専門員、認知症ケア専門士、FP
ブログ
認知症家族として
約30年前、小学校高学年から中学3年生になるまで我が家は認知症の祖父を抱えた家族であった。当時は、世間の認知症に対する理解や社会整備も乏しく、認知症患者さんを抱えた家族の苦労は今以上であった。それに加え、患者さんの「過去の人生をも否定されてしまう苦痛」は推し量れない。祖父の存在が、家庭内の不和を生む事もあり、認知症が進行する祖父が好きにはなれなかった。「認知症の祖父がいなければ」と思うことも何度かあった。
亡くなる直前の祖父は、たまに訪ねる実の子供達の顔を忘れても長男の嫁である母親の顔は覚えていた。介護者として救われる思いであった。そして祖父が死んだ時、自分は孫として家族としてもっと何かできなかったのか苦悩した。その為この経験を糧に、将来は認知症に関わっていければと考えた。
その後、医師の道を志し、認知症を診る神経内科を専門とした。現在は、認知症専門外来を開き、講演も依頼されるようになった。ここまで、一度も迷うことなく目標に向かってきた様な気がする。ひとえに、あまり好きではなかった祖父のおかげである。良く、認知症の御家族に聞かれることがある。「認知症患者さんの存在が、孫や曾孫に悪影響を与えないか?」。「これからの高齢化社会の中で、得る事のほうが多大です」とお答えしている。人間いかなる状況になってもその存在意義が失われる事は決してないのだから。
理念と方針
神経内科専門医として開業している意義
神経内科がかかわる病気は、大きく分けて「脳血管障害」、「認知症を含む変性疾患」に分かれます。これらの病気は、患者数が非常に増えていくことが予想されます。現在、日本には神経内科専門医が5000人くらいいますが、その多くは大きな病院に勤務しています。
認知症などの病気は、病気だけを診て治療すれば治まるというものではなく、介護やリハビリ、家族へのケアなども含めた総合的な対応をしてゆく必要のある病気です。また、医療費をできるだけ抑えることや、保険などを使って少しでも患者さんの負担を減らして、一番よい治療方法をご提案するには、開業医として、地域に入っていることがとても重要だと考えています。
在宅で死ぬということ
皆さん、最後はどこで死にたいですか?この質問に多くの方は、自宅で死にたいと答えられる。しかし残念ながら現在約80%の方は、自宅以外の病院・施設で死を迎えられている。自宅で亡くなる事ができるのは20%の恵まれた方々だけである。
当院では在宅死の希望をかなえることを目指している。開業8年で約160名の方を在宅で看取らせていただいた。2年前、在宅医療を積極的に行なう診療所、つまり「在宅支援診療所」という制度ができた。全国で約1万件の診療所が登録した。そのうち、年間10名以上の在宅死を行なった診療所は、わずか200件であった。当院もその中に含まれた事は自信になったが、登録している「在宅支援診療所」のレベルアップが必要と感じた。
在宅死を実現するには、医師の力だけでは不可能である。訪問看護婦、介護支援専門員を中心とする在宅サービスとの連携が重要となる。従来のような医師を頂点とするピラミッド型ではなく、あくまで患者さんを中心として各職種がそれぞれの業務を行なう「クライアント中心主義」である必要がある。その中では、医師も一つのサービスに過ぎないのである。
在宅で亡くなる方には、50歳代の悪性腫瘍の方や90歳代の大往生の方まで多岐に及ぶ。自宅に戻ると、皆さん病院に入院されていた時より状態が改善される。これが在宅の力かと感じる。
我々の取り組みは、決して新しい試みではない。昭和30年代は現在とは逆に、自宅外で亡くなる方は20%に過ぎず80%は在宅で亡くなっていたのである。