「楽壇の帝王」・・ヘルベルトフォンカラヤン。

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私は、
1988年4月にも
大阪ザ・シンフォニーホールに
ベルリンフィルのコンサートを
聴きに行きました。
当時の指揮者は
「楽壇の帝王」
ヘルベルトフォンカラヤン。
11度目の来日でした。
22歳の学生の身分にしては
相当に相当に、高価なコンサートでした。

しかし、年齢的に
カラヤン最後の来日かと思い、
思い切りました。
当時は、チケットを購入するには
並ぶしかなく、
仲間と一緒に
6時間ほど並んで
ようやくチケット購入したものでした。

当日の演奏曲は
モーツァルト交響曲 第29番と
カラヤンが自己最多の録音を行った
チャイコフスキー交響曲 第6番
当日の演奏は
指揮台には腰のあたりを支える器具がすえつけられ、
カラヤンはそこに身体を預けて立って指揮をしていました。
難しい言葉では表現できませんが
『カラヤンは、もうすぐ死ぬんだ・・』と感じたものでした。
結局、 1989年7月16日にお亡くなりになり、
1989年に予定されていた
ウィーンフィルと2度目の来日公演は幻に終わりました。

ちなみに、
CDの最大収録時間(74分42秒)が決まったいきさつに
このカラヤンが関わっていたという話があります。
開発の過程で(約60分)を主張するフィリップスに対し、
当時ソニー副社長で声楽家出身の大賀典雄を通じて
「ベートーベンの交響曲第九番が1枚に収まったほうがいい」と
カラヤンが提言したそうです。
結果的にCD1枚に第9を収めることが可能になったそうです。
最近は、CDを聞くより
インターネットによる
ベルリンフィル デジタルコンサートホールが
メインになっていますが、
今回、最終日の第9を聴きながら
カラヤンさんの最後の来日公演を
思いだしていました。

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